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水野南北の教え(7)大食や美食をする人は、自分の命を的にして矢を放つようなものです

「相法極意修身録」は、巻ノ二より、弟子との問答集になります。
そこから興味深い問答を紹介していきましょう。


問 「先生は飲食のことだけをお話しなさいます。食は倉庫に満ち足りていて、それは人の命を養うための食です。これを十分に食べなければ、ただ飽食の念が起こり、生まれながら餓鬼道にいるようなものです。
これに対して水野南北は


人の命を養うための食であっても、
大食暴食をすれば、草木に栄養を与えすぎたかのように、かえって食によって命を削ることになります。

粗食をして相応に養うときは、草木がよく成長するように、人の命も長命になります。このことを知っていながら大食や美食をする人は、自分の命を的にして矢を放つようなものです。これは心が賤しいためです。


と答えています。そこで、ルイジ・コルナロ。

無病法

極小食で自らの病気を克服し、長寿を全うしたルネッサンス期のイタリア貴族ルイジ・コルナロ。彼の食生活や講話をまとめた「無病法~極小食の威力」の著書内編訳者・中倉玄喜氏は本の中にて

「マクロビオティックや健康食を志す方々の中に、こんなに体に良いものを食べているのだから、幾ら食べても平気!という方を時折みかけます。大食は内臓の疲弊を招き、死期を早めてしまいます。」と記しています。

食を節制し、楽しみ、感謝し、薬にもする・・・これを生活の中でごく自然に実践するのは、相当な知恵と自制心が求められそうです。



水野南北の教え(6)南北の神髄「相法極意修身録」巻ノ一まとめ

観相家・水野南北が、 飲食と開運について自身の考えをまとめた
著作「相法極意修身録」は、
巻ノ一から巻ノ四に分かれています。

今回は、巻ノ一の教えをざっくりとまとめてみました。


〇 生涯の吉凶と開運はすべて食の慎みにある
〇 小食・粗食にし、規則正しく食べる者は吉。老年運吉。
〇 大食暴食・美食・初物を好む者は、どんなに相貌がよくても凶
〇 粗食であっても時おり大食して、食が不規則な者は凶
〇 女性で大食であれば、夫を剋し縁が変わる

〇 「貴人に食なし、小人に食あり」小食の者はおのずと貴人となる

〇 子なき相でも食を慎めば跡継ぎを得る
〇 小食の者は食が腹の中にないので、大病や長患いがない
〇 大禄(収入)にしたいと思う者は小食にすること
〇 肉体労働者は強食であっても罪がない

〇 人・物・財はみな大切にしてくれる方に集まる
〇 物が欠けることで事が成る。立身出世は食を慎むことから。
〇 高齢者は肉食をして養生しても問題ない
〇 貧悪の相の子も、親に食の慎みがあれば不運にはならない

〇 誠の陰徳は日々の食物を半分食べずに、天地に献じ捧げること


〇 親孝行をしていなくても、食を慎むことは孝行となる

〇 家運が尽きても、その当主が食を慎めば再興できる
〇 囲碁・将棋・遊芸を好む者は出世しない
  (仕事とする者はあてはまらない)
〇 築山・泉水のある家は衰運に向う
〇 食に慎みのある者は血色がよく、神(気魄)がある 



薬いらずの少食療法 医師が実践する
  江戸時代の小食主義――水野南北『修身録』を読み解く


食べようと思えばいつでも身の回りに食べ物があり、むしろ健康のために美食を 我慢しなくてはいけない人も多い今の時代。 南北先生の教えを読むたびに、 なんとも有難い世界に住んでいるのだなあという、 驚きと感謝の気持ちが湧き上がってきます。

そんな感謝もありつつ、豊かさゆえに、 「お腹が減ったら食べる」という そんな当たり前なことが出来辛いのも事実。 家族や仕事上の付き合いはもとより、 目の前にある美味しいものの誘惑に負けて、 それほどお腹が空いてなくても、つい食べてしまう。 嗚呼、食を慎み、自分を律することは本当に難しい。
水野南北の教え(7)につづく